倒産経験社長の実体験ブログ

経営していた会社が20☓☓年に経営破綻。負債3億円以上で会社は破算で個人も自己破算、そんな倒産を体験した元社長による実話ブログです。倒産前から弁護士介入、裁判、免責許可までの手続きの実体験、流れや出来事、生活の様子などなどを綴ってます。

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初めての債権者集会(実況編)その②

債権者集会スタート

さて始まりました。法人破産からスタートです。法人と個人は分けて行うみたいです。まずは紙の資料が全員に配布されました。負債状況、現金の回収状況などが書いてあったと思います。合わせて、回収された現金(つまり、破産財団に集まった現金)の配布先についても書かれています。

破産手続きにかかった経費、管財人の報酬などがまず優先されるようです。そして、未納の税金、これも優先されるようです。結果としては、それらへの支払いで全て無くなってしまう(足りない)ため、一般債権者への分配はされないという説明がされました。

裁判官、及び管財人からの各種説明により、淡々と会は進行します。どちらかと言うとやや機械的に進んで行きました。5分ほど、10分はかかってないと思いますが「以上で終りますが、ご質問があればどうぞ」と最後に告げられました。

ここで激しいやり取りが、、、と思いましたが、特になく、「結論としては債権者への分配はされないという事です?」「現在のところそのような状況です」みたいなやりとりがあって、終了となりました。

個人の自己破産に対しての債権者集会

続けて、個人の自己破産に関しての債権者集会へと進みます。ここで、個人に対しての債権者以外は退出する旨が告げられました。基本的に法人倒産に対する債権者集会ですが、連帯保証人になっている銀行や不動産会社などは、個人に対しても債権者になっており、そのまま残ります。

個人についての紙資料が配られ、同じように裁判官、管財人から淡々と説明がされ、やはり数分、5分ほどでしょうか?で説明は終わりました。「個人については債権者への分配を予定しております」といった説明がされて、最後の質問時間になりました。

個人については、生命保険の解約返礼金、子供の学資保険の解約返戻金、車の売却代金などがあり、特に税金未納に取られる事もなかったので債権者へ比例分配される予定といった説明がありました。

債権者集会終了と、次回の債権者集会の日程

そして、何事もなく終了しました。特に質問や抗議、追及などもなく、時間にしたら10分、15分ほどだったでしょうか?無事に終わりました。

そして最後に「次回債権者集会の日程をお知らせしますので、お越しになる方はメモして下さい」といった話がありました。今回はまだ調査途中でまだ時間がかかるため、あくまでも経過報告の債権者集会となりました。

次回の債権者集会については、改めて各債権者へ通知される事はないという説明がありました。したがって、今回の債権者集会に参加した方のみ、次回債権者集会の日程が知らされるという事になります。つまり、2回目、3回目と徐々に出席者も減っていくのでは?と思いました。

日程は2か月後ぐらい?だったと記憶していますが、私の場合は最終的には3回、4回ぐらいあったと思います。そして最後まで債権者集会に参加される債権者の数は、それほど減りませんでした。毎回、経過方向がされ、次回債権者集会の日程が告げられていました。

すでに再就職済みでしたので、会社の方は債権者集会の日はお休みを頂き、出席するという事が続きました。債権者集会が始まった時期からは、もう話す事は全て話しておりましたし、出せる資料も出し尽くしていましたので、自分個人が特に何をするという事もなく、次の債権者集会までは弁護士さんとの月に1回ぐらいの打合せがあるぐらいで、あとは弁護士先生が全て対応してくれておりました。

たまに弁護士先生から質問があり、それにメールや電話で回答するぐらいで、すでに仕事もしていましたので、何となく宙ぶらりんの状態でしょうかね?

最後の債権者集会と免責決定

こうして債権者集会を重ねつつ数か月が経過していきましたが、ついに全ての調査も終了し、疑わしい事もないという事が確定し、最後の債権者集会となりました。免責決定の旨が伝えられ、晴れて借金が帳消しになる事が確定となりました。

実際には正式な通達?通知が数日後に届き、弁護士先生から連絡があり、正式に全ての手続きが終了したと告げられました。支払停止してから1年以上と長い長い道のりでしたが、やっと終わりました。私の場合、負債額も大きく、取引先も多数あったため、かなり長かったのだと思います。通常であればもっと短いとは思います。

支払停止や、弁護士介入時は、それはもう大変なドタバタが続いていましたが、今思えば、債権者集会が始まった頃からは静かな日々だったと思います。その頃にはすでに取られる財産などもおぼ決まっており、着地もある程度見えてました。

もちろん、最後に免責決定となるまでは心落ち着かないところもありましたが、途中からはもう次の生活がスタートしていましたので、新しい生活基盤を作っていく事にシフトしていました。そう考えると、本当にしんどかったのは、弁護士介入前と、弁護士介入からの数か月だったと思います。今、現にその渦中におられる方もいらっしゃると思いますが、永遠に続く事はありませんので、頑張ってほしいと思います。